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濱野裕生
濱野裕生

2021年01月03日

〇・独り言:05

〇・独り言:05

☆・但し、このエアコン修理の出来事以前から。
 朝のバイタル測定では正確な数値が出なくなるほどに母の容態が悪くなっていたのは事実です。特に母の様子が変でもなく、表情も穏やかなのに一日の中でも血圧計では数値が表示できたり、全く表示出来なかったりする事が続いていました。
  簡易血圧計や手首で脈拍をみても鼓動は非常に薄く、心拍を感じられないことがある瞬間が幾日も続いていました。だから、気が利く看護師さんは枕元の酸素供給器を母に装着して様子をみたりしていました。 「もしかしたら母の闘いも終わりが近づいているのかなァ」という感慨は私自身でも持っていたんです。

☆・入院時に誓約書にサインしていたAEDの準備がなかった。

 でも、このくらいは言ってもいいのかな?、脳梗塞で緊急搬送されて入院した際に交わした委任状には「今際の際、肋骨を骨折させるほどの心臓マッサージは不要だが、2回までのAEDの使用は依頼」とチェックしていました。しかし、そのAEDが母の最期には準備がなく、夜間専門の当直医と週末限定の派遣看護師だけというスタッフ。彼等には殆ど申し送りが為されていなかったようで、私が何をどう訊ねても「知らない」とばかりにポカンとした表情だった事でした。

 母が逝く最期の2日間の闘いは実に壮絶でした。姉夫婦、兄夫婦も来熊していましたが、母の最期を看取れたのは私だけ。私からの連絡で駆けつける姉、姉夫婦等の気配を廊下で感じた頃には母は息を引取った後・。でも、母は実によく頑張りました。 ひたすらに「あの人達はいい人ネ」と繰り返しては感謝だけで日々を過ごし、誰も恨まずに生き、母は私を見つめながらフッと風が吹き止むように目を閉じて彼の地へ旅立ったのです。

 看護師さん達の「ツヤさん、おはようございます」という挨拶に対しても硬直した喉から振り絞るような声で「ア・ナタニ・モ ・オハヨウ・ネ」といつも感謝を示していた母。私には母のような崇高な生き方は絶対に出来ません。死して尚、我が子に対して影響を与え続ける母親って凄い人だったんだなァ、と思っています。

Posted by 濱野裕生 at 04:07│Comments(0)〇:裕生の独り言
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